八月の句会の頃はもう秋ですからと、兼題「秋の声」
本格的に暑い夏はこれからというのに(現在七月)秋を詠まねばならぬとは。
テレビやラジオへの投句も、先の季節を詠むことが多く難しいと思います。
平均年齢が高く、コロナ禍で換気を意識する必要上、クーラーも効きにくいとのことで、結局八月の句会は休会。次回は九月になりました(残暑が厳しいでしょうね)
二ヶ月考える時間がありました。
踏切を越ゆる秋声妙蓮寺 かほり
妙蓮寺(菊名妙蓮寺)は、横浜市港北区にある日蓮宗の寺院。最近では、桂歌丸師匠のお別れ会が行われました。東急東横線妙蓮寺駅前の狭い踏切の側にあり、句会の皆さんはお近くでよくご存知と思ったのです。でも、結局どなたの選にも入りませんでした。
作者の私にしか見えない景であると(先生)
このような固有名詞の句は駄目でした。推敲してもまとまらず。
「踏切を越ゆる秋声」という感覚は良いと(先生)
それで十分と、捨てることにしました。
固有名詞ありきの句だったので出しましたが、まとまらない時は、出さない勇気も大切なのかもしれません。しばらく寝かせれば、もっと良い句になる場合があります。
宿泊の予約とりけし秋の声 かほり
ズバリ、今年の「秋の声」
(同世代の句友の評)幅広く響きそうですよ。キャンセルする側とも、される側とも読めるし。コロナ禍はもちろん、そうでなくても伝わります。電話のキャンセルだと余計に響くかも?
句友の存在はありがたい、ありがとう。